奈良 2002-2005

自分の「作品」と呼べるようなものを作って、それを「展覧会」という形で人に見せたのは2002年からだった。もちろん当時は何も分からず手探りの状態で、自分の考える「アート」というのを表現していた。技術もコンセプトも全く未熟で、自意識だけが発達した19歳のクソガキに場所とチャンスを提供してくれたのは、奈良市の実家の近くにあった浮遊代理店というカフェバーだった。2005年に閉店するまで何回かそこで展示をさせてもらう。オーナーの奥田エイメイ氏にはこの時期非常にお世話になった。

最初の頃はフルクサスに影響を受けたようなインスタレーション作品が多かった。既製品や日用品を非日常のギャラリー空間に配置することで、それが別の意味に変換されるという彼らの方法は、創作の大きな動機付けになった。ただし奈良という都会から大きく離れた場所で、展示をしても全く注目もされないような日々が続き、悶々とした気持ちをずっと抱えていた。

高校の頃から美術には興味があって美大予備校にも通っていたが、経済的な理由や家庭の事情などにより美大に行けず、結局教員養成系の大学の数学科に入った。数学を選んだのは単なる気まぐれに過ぎなかったが、この選択が大きく道を分けることになる。大学での生活は退屈でしょうがなかったが、数学の勉強はわりとまじめにやっていた。