大阪: 2005-2010

大学院進学をきっかけに、2005年まで住んでいた実家を離れ、大阪で一人暮らしをはじめた。その後、修士と博士の5年間を大阪で過ごす。大学院では数学を研究し、家で作品を作っていた。この頃から研究の仕事とアートの仕事を切り分けたいという気持ちで、アートでの活動を本名を崩した「トモエ」という名義で行うことにした。ミニ四駆のシールを貼り合わせて絵を作る方法をその頃に発見し、以降そのスタイルを追求してグラフィックアート作品を作ることになる。この頃は主に公募展に作品を出したりして、作品を世に出すチャンスを探していた。

とくにその後の友人関係や仕事関係につながるきっかけとなったのは、GEISAIとワンダーサイトが大きい。折りしも05年から07年頃はアートバブルと呼ばれた時代で、若手のアートを取り巻く状況も良かった。自分の絵に価値が付くということをGEISAIで初めて体験し、また同世代のアーティストたちとワンダーサイトを通じて知り合った。美大に通わず、片田舎で細々と見向きもされない「アート作品」を作っていた日々をそれまでは送っていたため、初めて知るアート業界に興奮と希望を感じていた。リーマンショック以降はアート業界の冷え込みを肌で感じ、少しは地に足をつけて考えるようになった。

修学旅行以外で初めて海外に行ったのは2008年のアメリカが最初だった。ニューヨークのチェルシーで見たギャラリーや作品のでかさ、マーケットの規模の大きさにカルチャーショックを受けた。外国人から自分の作品がどう見えるかを意識しはじめたのもこの頃からだ。仕事の事情で20代の後半は半分以上海外で生活することになるが、自分の作品に付着してる拭いきれない「日本」の土着性とどう向き合うか、ということを考えるようになる。